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​レポート

①「ヨーロッパの芸術」レポート

                

ジェンダーとエロティシズム

 

「ヨーロッパの芸術」を学んで大変興味をもったことは、「ルネサンス美術とジェンダー」での女性芸術家の出現、そして「20世紀の前衛美術が描く身体」におけるダダの身体切断による反芸術的運動に興味が動かされました。

 中世ヨーロッパの芸術は、身体表現におけるエロティシズムを芸術的に昇華し、男性社会の欲望を満たすために十分な役割を持っていたこと、そして芸術的表現のなかに社会的規範や政治性を刷り込み、男性による性的表現を芸術至上主義の名の下に「美」として定着させたことでした。身体といえば女性の身体のことであり、男性からの性的好奇心として描かれ続けたことは、たんなる「美」への憧れだけではなく、画家やパトロンを含め、権力を握る男性の「見る側」、女性がモノとして扱われた「見られる側」の非対称性が証明される。男性支配社会の性的領有時代の物語は深く根付いていて、それは現代でも同じように続き、性に関する強い芸術的情熱の題材にどうしてなってきたのだろうか。

 鷲田清一がいう『性が繁殖のための生殖行為にすぎないのではなくファンタジーや快楽、エロティシズム、さらに倒錯といった文化によって複雑に編まれている』(老いの空白32p)というように、時代の強者であり特権的権力であった主体の男性たちにとって、性的指向を満足させるための商品として扱われていた女性の裸体は、芸術という神話のなかに閉じ込めるために欠かせないモノであったのかもしれない。モノとして扱われる女性が中世ヨーロッパの芸術から脈々と引き継がれてきた歴史に対し、ジェンダーという新しい構造の登場で芸術のアプローチは変容したのだろうか。

 社会学者の上野千鶴子は『視線の持ち主=男性主体から、評価され、比較され、値踏みされる。女性は「視られる対象」としての自己身体と折り合いをつける』(発情装置p49)と現代でも女性は強制的に男性への都合のいいような規範に刷り込まれ、そこから逃れられないでいるという。また美術評論家の松井みどりは『女性が既製の表象体系のなかで、男性の欲望に対して無意識に自分を合わせようとしむけられるということは、否定できない事実』(芸術が終わった後のアートp62)と男性社会の規範の壁が厚いことを物語る。

 男性の性的なまなざしは、現代ではバランスの欠いたエロティシズムであると思うが、男性表現者にとってそれがいまでも芸術的な作品であるとかたくなに信じているのだろうか。男性文化の優越性を誇った歴史のなかで、エロティシズムということに関して対抗芸術はあるのか、女性芸術家はどう取り組んでいたのか。

 いまや現代美術のヒロインであるシンディ・シャーマン(1954〜)は「男性支配の文化に対抗する批判的な手法を操作する作家として評価が成立する」(外山紀久子 美術史をつくった女性たち p211から)と高く評価されている。いままでの男性がもつ強者の一方向のエロティシズムのシステムを攪乱させ、現実の女性が主体をもって盲従からの解放を訴えている。ポートレートという手法を使った、あたかも映画のワンシーンを見ているかのような錯覚をさせて、メッセージを反復し問いかけをする女性芸術家は活躍している。

 自己消滅を願望する水玉アーティスト草間彌生は、水玉のかたちを作品化し、男性にはない特異性を表現をしている。反復的な水玉模様は精子の噴出のような解釈の仕方もあるが、単に水玉として躍動感のある模様は、自己の不安定さと男性への恐怖心または逆に攻撃性を感じさせる。彼女の反復する水玉模様は身体像をまったくとらえられていない。(とらえている作品もあるが)それにもかかわらず、草間自身の自己表現が男性表現者にはない強迫的エロティシズムを感じる。人が既視感を抱く水玉図形を使って自分の特徴をひたすら痕跡として残さずにはいられないアブノーマライゼーションの作品である。彼女の作品によって感情につながる「怒り」や「苦悩」の表現は、多様な価値や世界観を気づかせてくれる。すっかり壊れている人間の本能的欲望や倒錯的世界から自然からも遠く離れた場所で、新しいエロティシズムをもったイメージが生まれるのかもしれない。

 時間は前後するが、ダダイズムの女性芸術家ハンナ・ヘッヒ(1889〜1978)は、写真に写った身体を切断・分割し多様に結合させたことによって、男性も女性もないジェンダーレスな世界を反芸術的に表現し、抑圧的芸術から解放しようとした作家がいたことに驚かされた。彼女の手法である不安定なコラージュで制作する独特な作品は、美術評論家の仲間祐子は『性差の枠を超越した自由な性のあり方として、むしろ肯定的な意味を獲得するようになった』(美術史をつくった女性たち p166)と解説している。つまり男女の性差のないエロティシズムの表現を求めて彼女は新しい規範を発見したのである。彼女のような具象でもあり抽象でもある表現の展開は、身体を中心にした具体的表現が可視化することもなく、混沌としたエロティシズム(反エロティシズムも含めて)の世界を自由にコントロールしてアプローチできること、心の奥底から湧きでる欲望を操作可能に変容し、写真や雑誌の切り抜きを貼り合わせ反復することで、いままでにはないエロティシズムを構築し獲得したのではないだろうか。一度ぶちこわし切断した身体から再び浮かび上がる別の世界を提供する。部分部分の混ぜ合わせであり身体のパーツ化された変容である。それはパーツの組み合わせであらたな芸術的気づきのスイッチが入る。ずれている身体性がずれたイメージを生成し多彩な図形や色彩を世界に向かって発信することでずれた新しい芸術性を成立させる。

 例えば身体のリアルな形を伴わない抽象的絵画においても、表現の身体像がますます見えないがゆえに、イメージや色によるエロティシズム的表現の可能性があるかもしれない。芸術家ハンナ・ヘッヒの切断されたコラージュやモンタージュの作品には、抽象的概念のエロティシズムがある。抽象的絵画には身体描写がなくても描かれた模様が身体やその一部に見えることはある。見る側が意識的に解釈することや、表現者の意図的なデフォルメで描くこともある。偶然か必然か、性的イメージに結びつくような図形が見えかくれする解釈によってさまざまな意味が発生する。たとえ性的に想像させるような図形模様でなくても、描く線や形に無意識に色彩や構成によりエロティシズムはわたしたちに妄想をかき立てる。リアリティから遠く離れた表現の中にも、エロティシズムな世界が生成される。しかも性差を超えて。

 装飾芸術家であるミリアム・シャピロ(923年〜2015)は、図形を多く反復することにより、変容のきっかであるエロティシズムを巧みに育てあげている。こうした対抗芸術活動が女性芸術家に限らず、ますます開花することによって、いままでの男仕立ての文化的美の神話を解放していくことは間違いないだろう。なによりも芸術に対する思い込みを変換し、物語を解放し、そして想像力を沸き立たせるさまざまな刺激を与えてくれるに違いない。

参考文献

鷲田清一「老いの空白」岩波書店

上野千鶴子「発情装置」筑摩書房

松井みどり「芸術が終わった後のアート」朝日出版社

外山紀久子「美術史をつくった女性たち・鏡の国のアートワールド」勁草書店

仲間祐子「美術史をつくった女性たち・ダダイスト、ハンナ・ヘッヒ」勁草書店

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②創造と破壊のダダについて考えたこと

 

主体を満ち始めた女性性を恐れる男性社会に向けたアンチテーゼ

 1916年からはじまり1922年ごろまで、余りにも短くも激しく燃えたダダ。ヨーロッパの若者がチューリッヒで新しい芸術グループを作り芸術宣言をした。そんなダダの影響を受けた日本人村山知義の回顧展を2012年高松の美術館で鑑賞をした記憶があります。それは私の抱いていた芸術家とは程遠く、多方面でマルチに創造する人だと印象を持ちました。学校法人自由学園明日館で白い布にくるまって不思議なダンスをする写真もあり、使われた小道具の展示も多くその創作活動の広さに驚きました。そしてその時はじめて「ダダ」という言葉を知ったのです。

 美術・音楽・詩・舞踊などを通して社会に反旗をひるがえすグループとして、ヨーロッパからひとつの前衛芸術を誕生させたダダ。反伝統・反社会的な理論武装により現代芸術として美術史に刻まれたという。『意味破壊というパラダイム変換』(香川)をめざしたベルリン・ダダではフォトモンタージュなど表現ツールを取り込み、風刺に富んだ社会の矛盾を過敏に吸い上げ新しい芸術の世界を押し広げ社会を変えようとした。ヨーロッパ各地にダダのクーロンを作るだけでなく、ニューヨークでも『泉』で有名なマルセル・デュシャンがダダのカテゴリーであったことも驚きでした。

 主唱したトリスタン・ツァラは言っている『芸術作品は、美そのものであってはならない。なぜなら、それはすでに死んだものだから。』(ダダ宣言1918から)さらに後に『ダダイズムはどのような理論にも立脚していません。それはひとつの抗議しかなかったのです。』と。これは主体を持ち始めた女性性を恐れる男性社会に向けたアンチテーゼなのであろうか。破壊的な抗議は文化的価値の否定であり、反芸術というスタイルは、純粋でまた愚かにも見えるのだが、それは抑圧された若者達の情熱の沸騰だったのかも知れない。

 ダダが生み出したものは『<性のロマン主義>と名付けたところの欲望の対象関係をも破壊した。だが、そのあとの来たるべき新しい関係のプログラムを、彼らは何もつくらずに四散してしまった。絵のなかの女のまなざしは、破壊のあとの問いかけではないだろうか。』(香川)という。古い価値を壊して再構築できずにもがき苦しみながら芸術で社会に揺さぶり続けようとしたダダの若者たち。それは戦争という悲惨な体験を通し、変容する社会の不安定さを倍増させた。はたして爆発するかれら自身のポジショナリティは、時代の文化・政治・規範すべてに対し一歩前にいたのだろうか。もしかしたらかれら自身こそ家父長的文化から抜け出られない中で懸命に自身に異議申し立てをしていたのではないか。既存の文化を打ち砕くかれらの芸術運動はあまりにも短すぎ、あまりにも過激すぎ、あまりにも矛盾すぎていたために、作品を残そうとしない破壊がセットになってしまったのではなか。今から100年前のダダイストの持つ虚無的な苦悩を想像をする。

 

引用図書 「ダダの性と身体」香川檀 ブリュッケ 

参考図書 「ダダ」マルク・ダシー 創元社

     「ワイマール文化」平井正 岩村行雄 木村靖二 有斐閣

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③「事後性の芸術」

                

 モダニズムから続く芸術の流れは、既存の芸術に対抗するさまざまなドイツ語圏の新しい芸術運動の展開があった。それは写実から主観的主張をする表現主義の運動であり、無対象美術の構成主義芸術でもあった。さらにそれは、政治を変えようと風刺的で過激な要素を持った前衛的なダダイズム運動にも引き継がれた。その結果、揺り戻しとして登場したカンター芸術として新即物主義は、自然を重視する写実的運動が起こる。さらに世紀末美術を憎んだ独裁者ヒットラーによって、反ユダヤ政治的プロパガンダに利用した「大ドイツ芸術展」が開催された。それは伝統や古典主義へ回帰をする政治による芸術の破壊時代ともいえる。こうした運動の変化は、時代と共に芸術の傾向や様式をどんどんと変えていったのである。反芸術→揺り戻し→回帰→前衛→脱前衛→多様性など、芸術はいろいろなサイクルをするように、次から次へと社会の変動とともに変容していくことがわかる。こうした様式の歴史的変化は、既存の芸術を否定することは、存在の意味や証明を見いだそうとする新しい芸術家や鑑賞者たちの潜在的不満や不安がエネルギーの源なのだろうか。

 反芸術という反転させるような攻撃性は、繰り返せば美的要素はだんだんと二の次になり、ヌードはおぞましく誇張され、破壊的な作品制作を反復することになる。だからこそ芸術はその時代の政治にストレートに顕在化されやすいのかもしれない。

 はたして現代ではかなり民主的なシステムで芸術運動は政治的に根付いて洗練されたのだろうか。政治的芸術を日本の活動に目を向けてみると、国内各地で開催されるアートフェスティバルなどは、もしかしたら該当する一つの政治的芸術運動ではないだろうか。たしかに芸術で地域を変えるという意味で政治的であり、企業オーナーや県知事や市町村の政治力で資金を動かして、歴史ある民家や学校、公共施設、水田、林まで利用して、そこに芸術的付加価値を付けて、地域に溶け込んだ作品を住まわせた。しかも地域住民も参加させ芸術の意味の新しい変換をねらっている。「ファーレ立川アート」「瀬戸内国際芸術祭」「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「横浜トリエンナーレ」「いちはらアート×ミックス」など芸術と政治が一体となっている。地域一帯に広く芸術作品を散りばめ、広告して多くの鑑賞希望者に、チケットと案内マップを購入させ渡り歩かせる。この体験型芸術を通して郷土に埋没した記憶を世界に発信する試みである。ついでに観光誘致の役割も果たすである。いまやお祭り形式の政治芸術ショーは現代アートのひとつの方向なのだろうか。企画するディレクターのひとり北川フラムは、場の固有の空間や文化を発見するこうした芸術表現が、これからの芸術の主流だと大学の講演で豪語していたが、地域と一体となった思い出や懐かしさのような既視感ある芸術のねらいはまだまだ続くのであろうか。

 『想起のかたち』(香川 檀 著)の序章で、ヒットラー時代の歴史的社会的な負の記憶に向き合い、トラウマ的テーマにアプローチというテーマには、精神分析の「事後性」という心理現象にあてはまるという。そこにはコミュニケーション的記憶と文化的記億が生まれ、そうした記憶をテーマにした美術を記憶アート(オリジナル翻訳)と命名した。そして記憶アートの表現の仕方には、経験可能なもの、アーカイブ化、そして記憶の場を創出し歴史を再構成させる三つの取り組み方があるという。具体的には痕跡の再生、イコンを用いる、そして蒐集する方法があり、さらにはロマン主義やメランコリーといった男性芸術に対抗した女性アーティストの参入により、記憶アートは大きなパラダイム変化をもたらす可能性があるという。そしてポイントは、痕跡、記憶装置の模倣と流用、ジェンダーの三つの視点からもうひとつの歴史意識をあきらかにするのがねらいだという。アートフェスティバルに参加した、記憶アートの芸術家達も強い政治性をもった作品を発信している。「強力な政治性」をもって社会運動としてのメッセージのある作品が求められているとうことである。

 なるほど、今の時代はそうしたメッセージ性のある創作を表現者は、歴史意識で持ち続けていることが芸術家として必要なのかも知れない。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のポルタンスキーの作品について、薄暗いお化け屋敷のような体育館の中を、いまもう一度歩き鑑賞できるならば、また違った新たなメッセージを読みとることができたかもしれない。残念なことにアートフェスティバルも芸術家の常連化、または若手芸術家の登竜門化しているようなことが続けば、その揺り戻しとして反アートフェスティバルのような運動もいつでも起こりうる可能性がある。

 自分達のメッセージが独自の価値観にそって生きていくことを余儀なくされていたドイツ語圏の芸術家達を深く知ったことである。そして政治や社会的メッセージにいままで気づかなかった作品群にも、芸術の政治性はじつは見えづらいだけだということなのである。鑑賞者であるわたしたちは何をどう観るべきかを積極的に参加し、作品に刷り込まれた物語をどう感じとることができるかどうかである。これからも圧倒的な多様な芸術を前にして、歴史や政治の潜在性を見抜くような、ある意味反芸術的鑑賞のしかたも必要かもしれない。もうすこし単純にいえばこういうことなのかもしれない。

 

 「この世界」の外部への感受性である。底に貯えられた<反世界>のまなざしこそが、がちがちに凝り固まった融通のきかない「この世界」の関節を脱臼させ、世界をふたたび可塑的なもの、流動的なものへと戻し、それが結果とし 世界を編み直すきっかけともなる。(『老いの空白』鷲田清一・岩波書店) 

 

 芸術という表象のかたちの前で、鑑賞者としてまたは当事者として作品から発信するメッセージを、どうとらえ直す力があるかは、けして受け身ではない反芸術的で社会運動がわたしたちの感受性の中でどう育むか試されているのかもしれない。

 今後の課題として、記憶アートの世界である過去から、現在へ送り届ける芸術家の作品をたくさん鑑賞し研究したい。そして当事者としての今のわたし自身にもある負の記憶、たとえば少年時代わたしを苦しめた脳に映る恐怖模様など、まずは「事後性」を掘り下げるために、記憶を「外化」し、負の部分を美的感性でもって過去と現在をつなぐ記憶の課題に自ら実験しチャレンジをしたい。

 

 『疑似科学的で、かつアートとしての美的感性をもった歴史へのまなざし。』(香川p32)

 

とあるように、過去へのまなざし、記憶へのまなざし、幻視へのまなざしなど人それぞれ固有で束縛されない世界の中で、過去の記憶と双方向を促し、操作可能にして人と共有できるような予測の研究を試みたいと思っています。

 

参考文献 香川 檀『想起のかたち』(水声社/東京・2012)

引用文献 鷲田清一『老いの空白』(岩波書店/東京・2015)

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④「アート」レポート

 ゲームやスポーツが面白くなるためには、ある程度の修練が必要なように、「ヨーロッパの芸術」も文脈を紐解くためには、わたしもいろいろな約束事を学ばなくてはならない。約束事とは何か。それはヨーロッパの芸術は神話やキリスト教の伝承を文章代わりに利用するために、神の使者やヴィーナス、キリスト、マリアなどの身体像を使って、権威のメッセージとして理解させるアレゴリー(寓意)の数々である。無数のキャラクターやシンボル(象徴)とエピソード(挿話)を使い、そこにさまざまな意味を込めたものを配置するアトリビュート(属性)で人びとに教訓を発信し支配し続けてきた。

 目的のために描かれる物語を表現した芸術は、効果的なメディアとして多く規範を刷り込んでいる。古代の人間は肉体美を、中世は宗教や権威の象徴として表現されてきたが、近代になって神話や宗教のテーマから遠ざかり、ヌードを描く社会的制約からも解放された。

 身体像は新たなアプローチ、新たな描き方、新たな語り方をもった、新たな約束事を発見し、制作者はより自由な芸術を描くようになった。それは自己表現や自己思想という主体性の獲得であり、いままでのヨーロッパの芸術の価値観にはない、身体像を新しいモチーフとして登場させ、個人の感性に迫るテーマを持った芸術が生まれた。

 最初に写真的視覚が影響した印象派は、クローズアップした実験的構図を取り入れ、見る人も参加する臨場感を持った、作家と鑑賞者との関係を重視する芸術を扱うようになる。

 現代も身体は固有の意味や力を持つ。『肉体から湧き上がってくる新しい情動や感覚の発生にたちあわざるをえなくなる』(伊藤俊治・裸体の森 p268)というように、芸術はアプローチの仕方は変わっても身体に深く関わり続けている。身体は心の喜びや怒りの表現には他のどんなモチーフよりもはるかに伝達の可能性が大であるからだ。

 身体は全体像ではなく、たとえ一部である顔、手、足、胸、耳、目、唇などパーツでも十分にエロティシズムがあり、表現の意図するねらいにはむしろ効果的な場合もある。物語性を演出するためにはもってこいのフェティッシュ(呪物)でありアイコン(絵柄)なのである。繰り返しになるが身体は喜びや怒りの表現に、他の素材よりもはるかに大きな可能性があるのである。

この課題としては次のような事をあげる。男性画家やパトロンがあたかも普遍的な問題と思い違いしている夢見る世界を反映した、ある種ミソジニー(女性嫌悪)的な過去から脱し、抽象的芸術にも身体との関係性を探ってみたい。そのために芸術を表現する基本的態度の中に素朴な無知や偏見の思考を脱却して、さまざまなスタイルとその意味との変容をつかみたい。 

 

引用図書 「裸体の森」伊藤俊治

参考図書 「図像の哲学」ゴットフリート・ベーム

     「西洋絵画のモチーフ」池上英洋

     「美術とフェミニズム」ノーマ・ブルード

     「芸術と身体」上村博

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